日本におけるコーヒーの歴史 ~ヨーロッパ文化の伝来~

3.日本におけるコーヒーの歴史
~ヨーロッパ文化の伝来~

コーヒーが日本に伝わったのはいつ? 最初に口にしたのは?
異国の飲み物であるコーヒーが、
日本の国民的飲料となるまでの歴史をご紹介します。

日本で最初にコーヒーを口にしたのは、織田信長であるとか、豊臣秀吉であるとか、様々な説が言われています。実際、記録に残っているのは江戸時代末期に長崎出島で当時の貿易に関係した人が飲み始めたという説が有力です。それは次の記述でわかります。
「安政4年、オランダ使節の主任医師として来日したカール・ピーター・ツインベルクは、日本人は茶と日本酒を飲むだけである。ぶどう酒も飲まないし、ヨーロッパの酒造家のつくるうまいアルコール飲料も飲まない。2,3の通訳のみがコーヒーの味を知っているくらいのものである。と語っていた」(西日本スポーツ1998.4.22より)

そして、その出島に持ち込まれたヨーロッパの医学書の中に、コーヒーの効用が書かれていたと言います。その医学書を読んだかどうかはわかりませんが、日本人がコーヒーの効用を活字にした記録がやはり江戸時代末期にありました。それは当時の箱館(函館)奉行のある通達でした。

1800年代、蝦夷地には宗谷をはじめとする各地にアイヌ民族との交易所があり、1806年に樺太と利尻のその交易所がロシア海軍に襲われました。その事態を重く見た幕府は、蝦夷地を直轄地とし、寒さに強い東北の諸藩士を北方警備に派遣。230名の津軽藩士がその第一陣として1807年宗谷で任につきました。しかし、寒さと食糧不足で70数名が「水腫」(全身にリンパ液がたまる病)に倒れたそう。最北の警備は悲惨を極めたと記録されています。

北海道稚内に「津軽藩兵詰合の記念碑」があります。この記念碑がコーヒー豆をかたどってつくられているのは、その史実に基づいて建てられたからだといいます。また、福岡の太宰府天満宮の古文書の中に「寛政9年(1797年)6月19日長崎の井出要右衛門が、かひい一包と砂糖一包を奉納。(紅毛人の飲みせなる煎茶なり)」という文献も発見されています。正式な記録では、1877年(明治10年)にコーヒー約18tが輸入されていたという事実がスタートということになるかもしれません。

その後輸入量が100tを超えたのが1913年。輸入が自由化されたのが1960年。現在では輸入量も30万tを超え、消費量も世界第3位となりました。現在コーヒーは、誰でもが楽しめる国民的飲料となったのです。

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